以前、アメリカで働いていたときに、日本の翻訳会社から出向社員が1人やってきた。二ヶ月という期間限定での出向だったと記憶している。
初日、社内の関係部署に送られてきた、彼の挨拶メールを見て驚いた。そこには難解極まりない単語が並び、隣の席のロシア人の同僚も「ワオ!」と、声をあげていた。
このロシア人は数カ国語を自在に操る人物なのだが、そんな彼女も真っ青の「ワオ!」な語彙力だったのである。当然、わたしには理解不能な単語がいくつもあり、とにかく勘とニュアンスで、どうにか読み切った。
そんな語彙力豊富な出向社員であるから、当然、英会話も出来るものとばかり思っていた。日本に興味のある外国人も多いので、挨拶がてら、早速話しかけにいく社員もいた。が、しかしである。彼の返答は大層短いか、または笑顔でスルー……。かろうじてメールで挨拶を返した社員には、「これでもか」ぐらいのご丁寧な返信メールが送られてきたそうだが、会話のキャッチボールに関しては、ほとんど返ってこない。しまいには心配した社員が、違う階で作業していたわたしを「同じ日本人なんだから、ちょっと見に来てくれないか」と、わざわざ内線で呼び出す始末である。
「もしかしたら、体調でも悪いんじゃないのか。さっきから、まるで貝のように黙ったままだ」 「緊張してるんでしょ、きっと」 「いやいや、それにしても全くしゃべらないぞ」
すぐに謎は溶けた。早速、皆が「とりあえず行って来い」というのでランチに誘ってみたところ、元気に即答で「オーケー」の返事。その後、近所のSUBWAYで買ってきたサンドイッチをほうばりながら、とにかくしゃべる、しゃべる。もしかして、聞いちゃマズイのかなとも思ったが、午前中、なぜ社員達としゃべらなかったのか、軽く尋ねてみたところ、案の定「苦手なんですよね、英会話。もう全然ダメで……」とのことで、体調不良でも何でもないことが分かり、少しホッとしたのを覚えている。
日本でも最難関と言われる某大学院を卒業し、今回は宇宙のサテライト(人工衛星)関連の翻訳の仕事で、遠路はるばるシリコンバレーまでやって来たのだ。当然、専門知識がないと訳せない分野なので、きっと膨大な知識を持ち合わせているに違いない。でも、英会話という言葉のキャッチボールに、そこまで難解な単語力は必要なく、かえってコミュニケーションの妨げとなることもある。コミュニケーション力とは往々にして実践でしか学べないものであり、机上でいくら知識を詰め込んだとしても、言葉の壁を崩す事は出来ないと悟ったのだった。